この竹田市も昔は活気があってよかったなぁ。→そこから??

先日、竹田市で昭和時代に撮影された8ミリビデオを発掘し、それを映画にするというプロジェクトの映画完成発表会を見に行ってきた。
8ミリビデオで撮影された映像が流れると会場は昔を懐かしむ声で溢れた。
一緒に映画を見に行った両親と話しても、とても懐かしい人も登場したし楽しい映像だった。と口を揃えて言っていた。
私は懐かしいとかいう感情はなかったけれども、昔の竹田市は若い人も多く、人口も多く活気溢れる街だったんだというのが映像を通して伝わってくる。
祭りや運動会、何気ない日常の風景。どれもすごく賑やかだ。今の竹田市とは全く違う。家の数も多い。
どの映像も写っている人は皆、笑顔に溢れていたしこれからの未来をきり開いて行こうというエネルギーも伝わってきた。

今、私が生きている竹田市は映像のような活気も、エネルギーも伝わってこないし、賑やかさもない。
そのギャップがすごい。たった40年ほどでこんなにも変わるのかと思うほどだ。
これから竹田市はどうなっていくのか・・・このままでもいいのかなぁ。
そう考える人も少なくないと思う。
だから今は地域を活性化させていこうじゃないかとう取り組みが生まれるのだろうけれども。

ただこの”40年”という数字。
私が生まれてここまで生きてきた年数とほぼ一致する。
40年でここまで衰退した田舎。
私が生きてきた年数のあいだずっと人も減り続け高齢化も進み、若い人もいなくなってきた。
40年の変化はすごいものだ。
でも形あるものはいつかなくなるし、その賑やかさがずっと続くかというとそうでもないと思うし、かといって今のこの現状がずっと続くかというのもそうではないと思う。
人は生きやすい方向に変化していくのは当たり前だから40年前のことがずっと続くはずもない。いつかは終わる。
終わりが来れば新しいものが始まる。
昔はよかった、昔の方が・・・というけれどもそれをいつまでも繰り返していても仕方ないし、昔を取り戻すっていうのもどうなんだろう??
昔は成り立っていたけど現代に合わないからなくなったわけで、次に新しくどんどんやっていったほうが合理的だから、いま地方で進められている昔を取り戻す、昔のような活気をとかいうのは無意味なんじゃないかというのが私の意見だ。私は人を集めて田舎を変えるとかそういったことはできないし、向いてないとも思うし、興味もないのでそういったことはプロの方々にお任せして私は私の道を進んでいこうと思っている。
今こうやって田舎が衰退していくのも当たり前のことだし、それを足止めしたって意味がないと思う。
なくなったからこそチャンスであって、チャンスをどう活かすか、自分の生き方にもなると思う。
私がこうやって田舎暮らしして、百姓しているのは田舎が活性化してほしいから、若い人を増やしたいから、そんな理由なんて一切ない。自分がやりたいことがここにあるから住んでいる。
日本がどうなろうが、大分がどうなろうが、竹田がどうなろうが、刈小野がどうなろうがしったこっちゃない。
ただ自分の生活や生き方を続けるためだけに利用させてもらっている。もしなくなればまた次の道を考える、その繰り返しだと思っている。
あと40年後は今とは全く違う社会になっているだろう。
その時私は70歳を迎えている。この先どうなっているか、不安もあるけれども楽しみでもある。
この衰退した田舎がどうなるのか。

 

作成者: Haru

シングル百姓。 農業を初めて6年目、猟師見習い中。大分県竹田市の消滅集落で一軒家を借りてDIYリフォームし住んでいる。2人の娘、ネコ2匹と暮らしている。

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