高齢者についての分析。〜男性編②〜

さて、前の記事で男性の高齢者の特徴をあげたのだが今回はそんな彼らはなぜそのような態度をとるのか考えてみた。

☆高齢者が多い→長老の消滅

まず第一の理由はやっぱりこれだろう。
昔はある程度の年齢が行けば自動的にいなくなっていたのだけれども今は違う。元気に老後を過ごすことができる時代だから体も動くし口も動く。だからこういうことが起こるのだろう。まぁ私が言わなくてもって感じだけども・・・言いたいので言わせてもらった。
高齢者間での小競り合いもそうだ。昔は数人しかいなかった村の年長者が今では大量にいる。そんなことでは話がまとまらないのは当たり前のことだろう。昔は80歳くらいから”長老”と言われてもおかしくなかったと思うが今”長老”と言われるのは100歳を過ぎてからじゃないか??と思う。
そして決定的に違うのが長く生きているからといってたくさん知恵を持っているわけではないということだ。
長生きをするということはそれだけ多くの修羅場を生き抜いているということ。長老から知恵をもらって村を活性化し、自分たちもうまく生きていく。でも今は・・・・。
なんだか子どものまま大人になった高齢者が多いような気がする。ちょっと考えればわかることも高齢者にはわからないのか、と腹立たしく思うことも多い。確かに先人の知恵は大切だ。でもこの気候変動や時代の流れでいまいち追いつけてないところもあるので自称”長老”の知恵は話半分に聞いてあとは他の情報を得るのが得策だろう。

 

☆だからリスペクトされないのがわからない。

高齢者が多い→長老がいない→昔の知恵は今の生活では必要なくなりつつある→今必要な情報はネットや本で昔に比べて簡単に早く専門的な情報が手に入る。
はっきり言って高齢者の知恵はこの時代のスピードでは参考程度にしかならない。
そして高度成長のなか、サラリーマンが増えたことにより”百姓”が減り私が今欲している百姓の知恵は本当にごくわずかな人に聞くしか手段がないのだ。金の卵だなんだともてはやされた世代ではとうてい参考にできない情報のほうが多い。大人になりきれていない形だけの高齢者に学ぶことは数少ない。

☆長老がリスペクトされている時代を知っているからこそやっかいだ。

高齢者の多くは子供の頃長老がいたと思う。彼らはそれを知っているから無意識のうちに自分がその年代になれば自然に尊敬され、年下の人に知恵をかしたり、年下の人に尊敬されたりするのだと思っているのではないのだろうか。だから尊敬されなかったり、自分のプライドが傷つけられたり、蔑ろにされると気分が悪くなり、さらに構って欲しくなり変な行動に出てくるのではなかろうだ。だからこそそんなに親しくもない私に対して愚痴を言ったり、威張ってみたりするのだろう。彼らの知恵を拝借したくて訪ねてくるひとなんてほとんどいないんじゃないかな??

 

☆現代のことを知らなすぎる。

彼らにとって時代は今でも昭和だ。
今は平成も終わろうとしている。が、まだ昭和を貫きとうそうとしている。そいう彼らと話して解決しようとか無理だ。私も私より下の世代のことはわからない。でもわからないがそれを否定したり若いからといって批判などするつもりはない。むしろ私より若い世代の人は優れていると思うし学ぶことはたくさんある。
わからなくてもいいから、もう少しだけ私の考えや生き方を知ってほしい。高齢者が生きてきた時代背景を押し付けるのはやめてほしい。

 

☆しかし若い世代や、たくさんの人と交流をもつ高齢者は違うと思う。

今のは田舎にずっといて会社と家の往復をしてきて定年退職し、やることもなくなりただただ毎日を過ごしている高齢者や、ムラの世話焼きで自分がしてあげているのだから感謝しろと思っているような高齢者だったが、今回は違う。ムラや集落という狭い世界だけで生きている高齢者と、広い世間でコミュニケーションをとっている高齢者は全く違う。一癖ある人でも他者とコミュニケーションを多くとっている高齢者は今の世代のことがわからなくてもなんとなくわかっているし、人を軽く色眼鏡で見たりしないし、見たとしてもそれを表立って態度には表さずいつも謙虚に対応してくれる。だから高齢者だからといってみんなそんな対応をしているかといえばそうではない。今置かれている環境によって左右されるのだ。

 

☆年齢なんか関係ない。

それは高齢者など関係ない。どの世代でも言えることだと思う。
ずっと同じ環境にいればそこに染まってしまい、居心地もいいから居座りたくなる。
が、一歩外に出てその枠の中を見直すことも大切なんだと思う。自然とそういうことができれば今まで書いてきた高齢者のような態度には出れないと思う。
一歩出るとそこは自分のテリトリーではない。自分がどういう人か誰も知らない。完全アウェイだ。威張ったり、自慢したり、いきなり呼びとめたり・・・そういう態度をとれば誰も近づかない。近づきたくもない。そういうことをしているということに気づくだろう。まぁ、やってみる意欲があればの話だが。
外に出る。それは刺激的でとても楽しい。新しいことが始まるからワクワクする。
歳をとれば新しいことに挑戦する意欲は少しずつ減っていくと思う。今まで書いてきた高齢者はその意欲は全く感じられない。今を淡々と生きて死ぬまで繰り返すつもりだろう。だから居場所も自然と決まり、堅苦しくなり、誰がどうだこうだの話しかしなくなる。それでは全く面白くない。自分はそのコミュニティーに入りつつも一歩外からものごとを見れる目を持ちたいと思う。
これだけ高齢者のことについて書いたのだが、自分は同じような歳の取り方は絶対にしたくない。それだけは言えることだ。

さて、私なりの見解を書いてみた。
彼らに上のような話をしても否定するだけだろう。だから別にこの意見を彼らにぶつける気など全くない。時間の無駄だ。彼らの生き方を反面教師にするだけだ。

これから私は彼らの考えを逆手にとってうまく利用してみたいと思う。

 

作成者: Haru

シングル百姓。 農業を初めて6年目、猟師見習い中。大分県竹田市の消滅集落で一軒家を借りてDIYリフォームし住んでいる。2人の娘、ネコ2匹と暮らしている。

“高齢者についての分析。〜男性編②〜” に1件のコメントがあります

  1. 男性編② も興味深く読ませて頂きました。特に、「たくさんの人と交流をもつ高齢者は違うと思う。」ってところが、すごく印象に残りました。おっしゃる通りだと思います。私がいた職場の高齢男性も揉める人のタイプは、こちらで書かれているような人です。

    私もあの職場にいた時は、Haruさんと同じで、絶対こんな年寄にはなりたくないって思いました。

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